メディアの問題点 - 日本を貶(おとし)めるメディアたち2 -

前回、朝日新聞が「慰安婦問題」を捏造(誤報)したとお伝えしました。

 

今回はその「慰安婦問題」の経緯を書こうと思ったのですが、いざ文章にしてみようと思うと、「あれ?この記憶は合ってるのかな?」とか、考えてしまってその都度調べたりしてました。

 

なんとなくの流れは覚えていても、いざ人に説明する文章を書くとなると難しいですね。

 

では今回は「慰安婦問題の歴史」について、まとめてみようと思います。

 

 

この問題を理解するには、やはり朝鮮半島の歴史から説明しないといけないのでは?と思うので、調べてみました。

 

すごく長くなりそうです。

 

 

まずは、どの辺りから開始するのが良いか迷いましたが、日本が明治時代になってからくらいから追っていく必要がありそうなので、その辺から書いてみましょう。

 

日本が明治時代だったころ、朝鮮半島では「李(り)」氏という家柄の人が統治していて、「李氏朝鮮(りしちょうせん)」と呼ばれていました。

 

そして、その頃の李氏朝鮮は中国(当時は清)の属国(ぞっこく:子分みたいな国)だったため、 中国から重税を掛けられていたようです。

 

そんな中、1884年李氏朝鮮の中には親中派(中国に頼る)と、独立派(中国に頼らない)が居たとされており、独立派が日本に援助を求め親中派を追い出そうとしたけど、親中派は中国に援助を求めて、追い出しは失敗したという事件(甲申(こうしん)政変)があったと言われています。

 

この事件で日本と中国が朝鮮半島で戦争になりそうだったので、「天津条約(てんしんじょうやく)」と呼ばれる条約を結び、「今後、お互い朝鮮半島に軍を派遣する時は、お互いに連絡して、同時に軍を派遣しましょうね!」と約束しました。

 

 

 しかし、相変わらず李氏朝鮮は中国からの重税に苦しんでいました。

 

1894年、ついにその重税に耐えられなくなってきた李氏朝鮮の民衆は反乱を起こしました。

 

その反乱を治(おさ)めるために、李氏朝鮮政府は中国に協力を求め、中国は軍を朝鮮半島に派遣することにしました。

 

それを見て、日本も天津条約に従って、朝鮮半島に軍を派遣します。

 

そして、民衆の反乱を治めますが、日本、中国ともに朝鮮半島から撤退しようとせず、両者にらみ合いが始まり、そのまま戦争へと突入して行ったのでした。

 

これが「香港デモ」の説明にも出てきた、「日清戦争」です。

 

この日清戦争に勝利した日本は、下関(しものせき)条約を中国と結び、中国に朝鮮を独立国と認めさせ、属国という立場から解放しました。

 

ちなみに、この時に台湾は日本に割譲(かつじょう:分割して渡す)され、ここから1945年の終戦まで台湾は日本の一部となりました。

 

 

 属国から解放された李氏朝鮮は、独立国となったからには国名を変えようということで、日清戦争から2年後の1897年、「大韓帝国」と名乗るようになりました。

 

そんな独立したばかりの「大韓帝国」に、ロシアが凍らない港を欲しがって、徐々に南に侵略をし始めてきました。

 

 それを脅威に感じた日本はロシアの進出を食い止めようとして、1904年、日露戦争が起こります。

 

そこで、大韓帝国は日本とロシアを比べて、ロシアの方が強いと考え、日本が中国から独立させてあげたにも関わらず、ロシア側に付こうとしたようです。

 

なので、日本は大韓帝国がロシアに付いてしまうと、日本が危険になるため、大韓帝国と「第一次日韓協約」を結び、外交と財政に関与することを認めさせました。

 

 

翌年(1905年)、日本がロシアに勝利して、大韓帝国の指導、保護を行う権利をロシアに認めさせました。

 

 それと同時に、日本は大韓帝国と「第二次日韓協約」を結び、外交は完全に日本が取り仕切ることを認めさせ、韓国統監府(とうかんふ)を設置し、初代統監に伊藤博文(いとうひろぶみ)が就任し、他国になびかないようにしました。

 

それを不満に思った大韓帝国政府は1907年、オランダのハーグというところで、万国平和会議というのが行われていたのですが、そこで「日本は大韓帝国の外交権を取り上げた酷い国だ!」と告げ口して回りました(ハーグ密使(みっし)事件)。

 

しかし、各国の反応は「だって日韓協約を結んだってことは、日本に外交を任せることをOKしたってことじゃん!うちら関係ないよね?」と相手にされなかったようです。

 

これを知った日本は「ダメだ。大韓帝国はずっと中国の属国であったため、独立国としてのあるべき姿を理解出来ていない。もっと管理を強化しなくては!」となり、「第三次日韓協約」を結ぶことにしました。

 

これは大韓帝国の内政(ないせい:国内の政治)も日本が取り仕切るというものでした。

 

 

こうして日本の中では「大韓帝国をこのまま野放しにしていたら、今度はロシアの属国とかになってしまうのではないか?併合(へいごう:) して、完全に日本の管理下に置くべきではないか?」との声も大きくなっていったようです。

 

この併合派の中心人物が山縣有朋(やまがたありとも)でした。

 

しかし、初代統監の伊藤博文は併合には反対であり、あくまで大韓帝国が自力で独立するべきであり、日本はその独立を援助すると考えていたようです。

 

なので、伊藤博文は併合反対派だったのです。

 

ところが、この伊藤博文の考えは大韓帝国に伝わっておらず、民衆は日本に支配されていると感じていたようです。

 

その民衆の中で、特に併合反対派だった安重根(あんじゅうこんorあんじゅんぐん)という男がいました。

 

伊藤博文が併合反対派だとは知らない安重根は、大韓帝国の独立のために1909年に、ハルビン駅で伊藤博文を暗殺してしまいます。

 

皮肉なことに併合反対派だった伊藤博文を暗殺したことで、山縣有朋らの併合賛成派の意見が強くなり、翌年(1910年)に日本は大韓帝国を併合し、統治(とうち)することになりました(朝鮮併合)。

 

 

 ここで、良く誤解される、いや、むしろメディアや教科書は日本を貶(おとし)めるためにわざと書いていると自分は思っているのですが、この朝鮮併合、または日韓併合韓国併合とも呼ばれていますが、この併合のことを「日本が朝鮮半島を植民地化した」と記載していることが多いです。

 

 そこで、日本が嫌いな人たちは「植民地」という言葉が持っているイメージを利用します。

 

朝鮮半島を日本の統治下に置くという意味では、「植民地」と言っても言葉としては間違いではないのだと思います。

 

しかし、日本が行った植民地化(併合)と、海外(主にイギリスとか)が行っていた植民地化ではその内容はまったく違うのです。

 

この「植民地」という言葉のイメージの違いを利用して、言葉の意味としては間違っていないけど、外国人に日本が行った朝鮮併合は「植民地」だとイメージを与えることで、悪い印象を与えることに成功してしまいます。

 

つまり、海外で「植民地」というと、その植民地化した国の人を奴隷のように扱い、その国の利益をどんどん奪い取るというイメージが、海外での「植民地」のイメージなのです。

 

しかし、日本の植民地(併合)はまったく別のものです。

 

日本は朝鮮半島を日本の一部として、日本の本土と同じくらいに発展させようとしました。

 

 なので、日本は朝鮮併合後、莫大な税金を投入して、社会基盤を整えていきました。

 

 日本が行った主なことを以下にまとめました。

  • 小学校の数を約40校から4271校に増やしました。
  • 師範学校を作り、教員を育てました。
  • ハングル文字を標準化して普及させ、識字率(文字が読める人)を10%から60%に上げました。
  • 焼畑農業で木が無くなっていたので、6億本の植林を行いました。
  • 治水工事を行い、1,527件の農業用ダムと410件の水路の建設を行いました。
  • 土地の開墾を行い、耕地面積が2倍になりました。
  • 朝鮮半島全域に鉄道を敷きました。
  • 発電所を作り、送電線を巡らせ、各地の村々に電気を通しました。
  • こうしてあらゆるインフラを整えた結果、人口が約1,300万人から2,550万人以上に増えました。
  • 衛生管理を徹底し、病院を作り、平均寿命が24歳だったのを、42歳まで伸ばしました。

これだけ日本の統治によって発展したのだから、いかに海外の「植民地」とは違うものなのかが分かるかと思います。

 

併合前のソウルの画像と、併合後のソウルの画像がありますので、ご紹介しておきます。

 

【併合前】

f:id:yoshida_rutsubo:20200123153557p:plain

【引用】http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/Chosen03.jpg

【併合後】

f:id:yoshida_rutsubo:20200123153746p:plain

【引用】http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/Chosen02.jpg

このように併合後は近代化されてきていることがわかるかと思います。

 

これが海外がイメージしている植民地(搾取(さくしゅ:奪いとること))と同じでしょうか?

 

今まで教わってきた教科書の内容などに、疑問をもっていただけたでしょうか?

 

今までの情報が正しくない可能性もあると、疑いを持ってください。

 

まずは、疑うことが第一歩だと思います。

 

 

 

さて、まだまだ歴史はつづくのですが、さすがに長くなってきてしまったので、一旦ここまでで今回はやめておきます。

 

今後、世界大戦の歴史になって行きますが、この辺複雑すぎて、自分でもまだ調べ切れていません。

 

また色々調べたりするので、次回の投稿も遅くなるかも知れません。

メディアの問題点 - 日本を貶(おとし)めるメディアたち1 - 

前回まで香港デモについて、その経緯と中国の侵略方法をご紹介しました。

 

そして香港デモを通じて、日本の現状についても認識して貰えたかと思います。

 

まだまだ中国に関しては書きたいことが沢山あるのですが、例えば「天安門事件」とか、「北海道の土地のうち、静岡県くらいの面積を中国人に買われている実態」とか、「中国と台湾」の関係とか、「沖縄の状況」とかもご紹介したいのですが、現状、 それらよりも自分が一番影響が大きいと思っている、情報をコントロール出来る組織、つまり、「メディア」の問題についての方が重要度が高いと思いますので、ご紹介して行きたいと思います。

 

それでは今回のテーマは「日本を貶めるメディア - 朝日新聞編」です。

 

みなさん、朝日新聞はご存じでしょうか?

 

大きな新聞会社なので、ほとんどの人は知っているかと思います。

 

では、「あなたは朝日新聞が伝えるニュースをどのくらい信用していますか?」

 

自分が学生の頃などは、朝日新聞の社説などを読んで、感想文を書かされるなどと言った宿題があったり、試験の問題文として朝日新聞の内容が使われるなどされていました。

 

なので、年齢が上になればなるほど、信用している人が多いのではないでしょうか?

 

自分も、「こうやって学校のテストで出るくらいなのだから、朝日新聞は信用出来る新聞なのだろう」と思っていました。

 

その朝日新聞GHQの政策に加担(かたん)している、むしろ、スパイが入り込んでいるせいなのか分かりませんが、積極的に日本を貶めようとしている新聞だとも知らずに。。。

 

今思えば、学校(教育機関)もGHQによって、日本が悪いと教育され、それに便乗してスパイが入り込み、反日教育を推進して行っていたのだから、見事な連携だった訳ですね。

 

TV・新聞・教育・政治が一丸(いちがん)となって情報をコントロールし、反日の情報を流してくる訳ですから、そりゃみんな騙(だま)されてしまいますよね。

 

しかし、ネットで色々調べていくうちに、徐々に朝日新聞は日本を貶めたい新聞なのだと分かってきました。

 

 

それにしても、この日本の危機、侵略されきってしまうギリギリにインターネットが発達したのは、ものすごく日本にとって幸運だったと思います。

 

もしインターネットが普及しないままだったとしたら、自分は今でもTVや新聞は正しいことを伝えてくれていると思っていたのではないかと思います。

 

これも「神風(かみかぜ)」の一種なのかも知れませんね。

 

「神風」とは昔、鎌倉時代に日本は元(げん)というモンゴルのフビライハンという、世界最強の国から侵略を受けました。

 

どのくらい世界最強だったかというと、以下の図の赤いところはすべて制圧していたくらい強かった訳です。

f:id:yoshida_rutsubo:20200107161718p:plain

【引用】http://hokkaido-syuryo.com/content/wp-content/uploads/2017/07/pre_26.jpg

しかし、元が船で日本の北九州に侵略して来た時に、元の船に暴風雨が襲い掛かり、日本はなんとか侵略を阻止したという歴史があります。

 

この時、暴風雨が日本を守ってくれたということで、この暴風雨のことを「神風(かみかぜ)」と呼んで感謝したというお話があります。

 

それ以降、日本を守ってくれる現象?があると「神風が吹いた」と言われるようになった訳です。

 

なので今回の日本の危機に関しても代々、日本を守って来てくれた先人(ご先祖様)たちが、日本を守れる瀬戸際(せとぎわ)になんとかインターネットを普及させて、本当の事を知れるようにようにしてくれて、「まだ巻き返せるから頑張れよ!」と言ってくれているのかも知れませんね。

 

なんだかだいぶ話がそれてしまいましたので、戻します。

 

では、朝日新聞が日本を貶めた事例をいくつかご紹介して行きましょう。

 

まず、とにもかくにも、「慰安婦問題」でしょう。

 

みなさんは学校でどう習ったでしょうか?

 

自分が学校で習ったときは、「戦時中に日本軍が、朝鮮(韓国・北朝鮮)の女性を無理やり強制連行して性奴隷にした。」と教わりました。

 

この当時の自分は、「日本軍というのはなんて酷いことをする軍隊なのだ!」と怒りを覚えた記憶があります。

 

しかし、これは【朝日新聞がねつ造した嘘】だった訳です。

 

実際に、朝日新聞が2014年の9月11日に謝罪会見を行っています。

 

朝日新聞慰安婦報道 渡辺雅隆新社長らが記者会見】

https://www.youtube.com/watch?v=oBsEtIyy2A8


このことを大きくメディアは取り上げましたでしょうか?

 

どれだけの人がご存知でしょうか?

 

これだけ日本に不利益を与えて、未だに嘘だったということを知らない人が大勢いる(たぶん)状況を作っている訳です。

 

この「慰安婦問題」のせいで、日本はいったいどれだけお金をむしり取られたのでしょうか?

 

自分は日本人の「過ちを認めて、反省する」という日本の美徳に付け込んで、日本からお金をむしり取る人たちに腹が立って仕方ありません。

 

慰安婦問題の経緯なども紹介したいですが、長くなって来たので、今日はここまでにしておきます。

香港デモ3

前回までに香港デモが起きるまでの流れと、世界の主義情勢をご紹介しました。

 

今回は、中国がどのように香港を侵略していったかをご紹介します。

 

 

さて、1997年にイギリスから中国に、香港が返還されることになりましたが、中国に統一されるのを嫌がった企業や香港人が逃げ出し始めたので、中国は「50年間は一国二制度で良いよ。」とすることで、とりあえず逃げるのを防ぎました。

 

これで、50年は民主主義で資本主義のまま行けると思っていたところ、中国は選挙の方法を選挙委員制としました。

 

選挙委員制とは選挙で投票できる人を任命して、その人だけが投票できるという制度でした。

 

もちろんその選挙で投票できる人に任命される人は、中国の方針に従順な人が任命される訳です。

 

なので、実質的に政治は中国に支配されているということになります。

 

 

これに怒った香港人は抗議やデモを行いました。

 

そこで中国は選挙の方法を見直しました。

 

「今度は、選挙権はみなさん全員に与えます。でも、立候補する人は中国が決めます!」としました。

 

香港人は「それじゃ同じだろ!」とさらに怒り、2014年に「雨傘運動」と呼ばれる大規模なデモを行いました。

 

なぜ雨傘をさしていたかというと、デモ鎮圧のために使われる催涙弾やゴム弾を避けるために傘をさしていたと言われています。

 

結局このときのデモは鎮圧されてしまいました。

 

 

そしてさらに、中国はメディアにもスパイを送り込み、新聞、TVなどの主要メディアに中国の悪いところは報道させず、中国に親近感を自然に抱かせるように、情報を操作して行きました。

 

実際に、2019年の11月に中国のスパイだった王立強(おうりっきょう、または、ワン・リーチァン)という人がオーストラリアに逃げ出してオーストラリアが自分を中国から守ってくれるなら、スパイ活動の内容を話すと暴露してくれました。

 

まあ、スパイ活動内容を盛っている(大げさに見せてる)という話もありますが、話半分だとしても実際にスパイがいるこを証明したのです。

 

そして、この王立強は香港のメディアや経済界に入り込み、中国の命令で工作活動(スパイ活動)を行っていたと話しています。

 

それを裏付けるように、香港では2017年に中国に対して批判的な本を置いていた本屋の書店員が失踪する事件が相次ぎ、戻ってきた書店員が次々と本屋を閉店にし出しました。

 

その中の1人が証言しましたが、中国に拉致されていて、再教育という洗脳を受けていたというのです。

 

 

このように、香港は中国によって徐々に選挙の自由や、発言の自由を奪われていき、中国に対する批判的な情報は見られなくなって行きました。

 

 

そんな中、2019年、中国は香港に「逃亡犯条例改正案」という条例の変更を行おうとします。

 

その内容は、「香港内で犯罪を犯した人を、中国本土に引き渡すことが出来る」という改正内容でした。

 

つまりこれは、中国に反抗する人には、何らかの犯罪をでっち上げて、無理やり中国本土に連れて行くということも可能になるのです。

 

中国本土に連れて行かれたら、そこには自由も人権もありません。

 

嘘の犯罪でも、中国の裁判官が「こいつは悪人!」と決めつければ、それが正しいという世界です。

 

 

そんなことになったら、「まったく一国二制度でもなければ、民主主義も自由もないただの中国の一部になるだけじゃないか!」

 

と怒ったのが、今回の「香港デモ」という訳です。

 

中国はこのデモに対し香港との境界線に、人民解放軍という軍隊を配置していて、「いつでもデモを武力で鎮圧するぞ!」と脅しています。

 

 

なので、今回の香港デモは、香港人にしてみたら最後の戦いに近いくらいの覚悟で行っています。

 

聞くところによると、学生達は遺書を書いてからデモに参加しているというお話も聞きました。

 

まさに自由を守るための命がけの戦いなのです。

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

中国は香港の選挙をコントロールし、メディアにスパイを送り情報を操作し、中国への批判は弾圧して言論の自由を奪い、逆らう者には恐怖で支配するということをやっています。

 

この状況、まるでどこかの国と似たような状況だと思いませんか?

 

政治家たちは日本の未来を考えず、来年には習近平国賓として招待し、メディアは中国に不利な情報は報道せず、中国を批判すると「差別だ!ヘイト(脅迫・侮辱)発言だ!」と言われ、まだ紹介してませんが、愛国的な講演をする人に対して、「講演するならガソリンをまくぞ!」と脅迫されて、講演を中止に追いやられたりしている国があります。

 

今の日本にはまだなんとか自由が残っていると思います。

 

しかし、自由というのはタダで与えられるものではないのです。

 

日本だって、この自由を手にするために散々戦って来ました。

 

昔は自由を手に入れるのは命がけだったのです。

 

「板垣死すとも自由は死せず」と言って、自由を手に入れるために殺され掛けたこともある訳です。

 

日本はいつまで自由でいられるのでしょうか?

 

香港デモには主催者発表では200万人、香港警察は33万人と言われているので、その間を取ったとしても、100万人以上の人が自由を守るための戦いに参加しています。

 

自分としては香港人の熱さというか、自由を守る気概(きがい)を羨ましくも感じています。

 

例えば、今の日本で同じように自由が奪われる日が来た時に、はたして100万人以上の人がデモに参加するか?と考えるとどうだろう?と考えてしまいます。

 

やっぱり日本ではメディアが報道しないということが、ものすごく大きいと自分は考えています。

 

人が物事を考えるには、正確な情報が与えられないと、そもそも考えることも出来ないという訳です。

 

なので、日本人は戦わずに流されていくような気がしています。

 

 

香港デモを通じて、日本の現状も認識して頂ければと思います。

 

香港デモ2

前回は香港デモが起きるまでの流れをご紹介しました。

 

そして、香港デモは民主主義と独裁主義、資本主義と共産主義の戦いなのだということをお伝えしました。

 

今回は、この民主主義と独裁主義、資本主義と共産主義ってなに?というお話です。

 

 

でもこの民主主義と独裁主義、資本主義と共産主義というのは人によって解釈がかなり違うものだと思います。

 

なので、一旦、辞書的な説明ではどう定義されているのか見てみようと思います。

 

Wikipediaより】

 

民主主義:人民が主権を持ち行使する政治。

 

資本主義:営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている、経済的・政治的システム。

 

独裁主義:特に政治において政治権力が1人または少数者に集中し、国家を支配体制に置いて政治を行う思想。

 

共産主義:財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。

 

Wikipediaでは定義されえているようです。

 

なかなか難しい言葉を使っているので、分かりにくいかと思いますので、簡単に言うと以下のようなものと自分は考えます。

 

 

民主主義:国民一人ひとりが正確な情報を取得して、自分で考えて意思を表明しましょう!

そしてまとまらない場合は、多数決で決定しましょう!という考え方だと思っています。

 

資本主義:自由に競争して物を売ったり買ったりしてください。

物を作る力が無い人は作れる人に労働力を提供して競争に参加してくださいということでしょうかね。

 

独裁主義:誰か一人もしくは一部の人が全部決めて、他の人はその方針に従ってくださいね。ということだと思います。

 

共産主義:競争はせずに、全部政府が管理します。作った物や売ったお金を全部政府があずかって、全員に平等に配布します!

ということかと思います。

 

 

さて、いかがでしょうか。言葉の意味はだいたいイメージ出来ましたでしょうか?

 

では今、日本はどういう主義かというと、民主主義で資本主義の国だと言われています。

 

なので、香港と近い主義という訳です。

 

 

ここで日本の周辺国、関係の深い国の主義を見てみようと思います。

 

【民主主義・資本主義と言われている国】

日本、韓国、アメリカ、香港(地域)、台湾(国かどうか揉めている)

 

【独裁主義・共産主義と言われている国】

中国、ロシア、北朝鮮

 

という感じかと思います。

 

ただ、中国は経済は資本主義だという見方をする人もいますが、自分は結局政府の一言で財産も土地も没収されてしまうなら、共産主義というか独裁主義なのでは?と思っています。

 

 

という訳で、日本は民主主義・資本主義と独裁主義・共産主義の境目付近にいるという訳です。

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ここで、香港が独裁主義・共産主義圏に飲み込まれた場合、次は台湾が狙われ、そして沖縄が狙われる訳です。

 

今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄と言われています。

 

 

そして、また韓国もいまの大統領の文在寅(ぶん・ざいいん、もしくは、ムンジェイン)が中国や北朝鮮よりの政策を行っているので、そのうち韓国も独裁主義・共産主義圏に行ってしまうのでは?と言われています。

 

そうなるとついに日本が民主主義・資本主義圏の最前線となります。

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こうなると世界のバランスはかなり大きく変わっていき、中国の影響がますます大きくなってくると思います。

 

その時、2050年に日本自治区にならずに日本という国を守れるかということにつながっている訳です。

 

なので、香港デモというのは決して対岸の火事というものではありません。

 

なのに、日本のメディアも政治家も香港デモについて応援するという姿勢がありません。

 

 

ちなみに、自分としては、香港デモを応援していますが、結局香港は2047年には中国に統一されるので、遅いか早いかだけかな?と思っています。

 

本当の戦いは台湾が中国に飲み込まれるかどうかかと思います。

 

 

さて、民主主義と独裁主義、資本主義と共産主義についてと、現状の世界の主義争いの情勢は、なんとなく分かったでしょうか?

 

 

次回は中国の香港の侵略方法についてご紹介してみようと思います。

香港デモ1

今、世界的に重要な話題である香港(ほんこん)デモに関して、メディアは大きく取り上げていない気がするし、問題の根幹をずらして、問題を小さく見せようとしていると感じたので、今回のテーマは<香港デモ>についてです。

 

この話題は確かに香港・中国・イギリスの歴史などもからんできて、分かりにくいとも思います。

 

なので、これから書くことは自分が見たり、調べたりしたことのなので、本当は違う可能性もあります。

 

それでも日本の未来に大きく関係があるので、少しでも本当の姿が見えるように自分の認識をお伝えしてみようと思います。

 

 

では、まずは香港の場所からですかね。

 

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ここですね。

 

 

この香港デモを理解するには香港の歴史を知ることが重要なのだと思います。

 

なのでまずは香港の歴史を調べたので重要な部分をご紹介します。

 

香港付近の地図はこんな感じ。

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【引用】https://hongkongshenzhen.up.n.seesaa.net/hongkongshenzhen/image/7FDC93AE-EC52-4A6D-97C9-86101A5E7505-thumbnail2.jpeg?d=a1

まずは、1841年に中国(当時は清)とイギリスでアヘン戦争が起こり、イギリスが勝利して、香港島をイギリスの領地としました。

 

その約20年後にまた中国とイギリスでアロー戦争が起こり、今後は九龍(きゅうりゅう、または、クーロン)半島の南部をイギリスが領地とします。

 

そして、中国vsフランスの清仏戦争、中国vs日本の日清戦争が起こり、清が弱ったところで1898年にイギリスが九龍半島の新界(しんかい)というところもよこせ!と強硬に出てきます。

 

弱っている中国(清)は「新界を99年お貸ししますので、なんとかこれで勘弁してください。」ということで、イギリスは新界を99年間領地にすることになりました。

 

 

さてそこから時は流れて、1941年に第2次世界大戦で日本が香港からイギリス軍を追い出し、香港を解放します。

 

しかし、1945年に日本が第2次世界大戦に負けたことにより、香港がイギリスに戻されます。

 

そして、イギリスが新界を借りた1898年の99年後である、1997年に新界を中国に返す時が来ました。

 

この頃になると、世界的に植民地とかを保有するのは人権的にも良くないという風潮が出てきて、イギリスも九龍と香港島を持っていてもあまりメリットがないということで、新界と一緒に九龍と香港島を中国に返すことにしました。

 

なので現在、香港というと、上の地図でいう赤い線の新界、九龍、香港島とその周辺の島々をさすことになるようです。

 

 

さて、ここで今まで香港に住んでいた人たちは、イギリスに占領されていたおかげで、経済は発展し、民主主義で資本主義の生活をしていた訳です。

 

だから、中国の独裁主義の共産主義に戻されるのを嫌がりました。

 

そうすると香港に進出してきた企業や、中国になるのが嫌な香港人たちは外国に逃げだし始めました。

 

そこで中国は「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。香港は今まで通り50年間は、民主主義で資本主義のままでいいですから、逃げないで下さいよ」と香港人をなだめる訳です。

 

そうすると香港人は「まあ、今までのままでいいというなら、もう少し残っても良いかな?」という訳で、名目上は中国となりましたが、実際の社会のありようは元のままという、「一国二制度」という状態になりました。

 

なので、香港は1997年の50年後、2047年までは民主主義で資本主義の社会となるはずでした。

 

しかし、「中華秩序」の実現を目指している中国は、2047年の香港統一まで待てなくなって来ていました。

 

そして、徐々に香港を侵略し出したので、「約束が違うじゃないか!!」と香港人は怒ってデモを行っているという訳です。

 

つまり、香港のデモは民主主義・資本主義vs独裁主義・共産主義の戦いなのです。

 

 

というのが、大まかな香港デモまでの流れになります。

 

ここで、民主主義・資本主義・独裁主義・共産主義とは何?と思う方もいるかも知れないので、次回はその辺をご紹介しようかと思います。

 

女性天皇・女系天皇

最近、メディアでは「女性・女系天皇に賛成ですか?反対ですか?」というアンケートを取っていると聞きまして、またこうやってメディアはまったく別の内容のことをあたかも一緒のことのように報道して、知らない人を騙そうとしていると感じたので、女性天皇女系天皇の違いをご説明したいと思います。

 

 

では、そもそも天皇について、みなさんどのくらいご存知でしょうか?

 

残念ながら自分の学生時代は「象徴ってなんだよ!税金を使ってまで天皇って必要?」などと大変失礼なことを思っていました。

 

しかし、少し調べてみると「天皇」というのが日本の伝統の証であり、世界で唯一の貴重な存在であるということを知りました。

 

そもそも天皇の歴史は、初代は神武(じんむ)天皇が紀元前660年に即位したとされています。

 

しかし、これは「古事記」や「日本書紀」に書かれている神話の一部という見方もあり、フィクションだという説もあります。

 

なので実在した天皇の説には大きく4つの説があり、神武天皇以降全員が実在する天皇であるとする説、そして、第10代崇神(すじん)天皇以降、第15代応神(おうじん)天皇以降、第26代継体(けいたい)天皇以降が実在とする説です。

 

神武天皇から数えれば2500年以上、継体天皇から数えても1500年以上の伝統がある訳です。

 

そしてこれだけの期間続いている国は世界で日本だけです。

 

ギネスにも載っています。

 

しかもずっと男系で続いているのです。

 

男系というのは、天皇のお父さんをたどっていくと、神武天皇なり、継体天皇までたどり着くということです。

 

例えば、伝統があると言われているイギリス王室は1066年と言われています。

 

しかもこちらは男系ではなく、色々変わっていっています。

 

また中国は4000年の歴史とか5000年の歴史と言われていますが、これは皇帝が次々と変わって行っていて、いわゆる国というものが変わって行っているということです。

 

なので、現在の中国、中華人民共和国は戦後に出来たので、70年くらいとなります。

 

まとめると天皇というのは最短でも1500年、最長では2500年以上続いている、世界一長い皇室(王朝・王室のような伝統)だということ。

 

しかも天皇のお父さんをたどっていくと、神武天皇なり、継体天皇までたどり着く男系という伝統を続けているということ。 

 

これだけ長い伝統を持っているので、天皇は世界中の国から尊敬されています。

 

世界の外交で言えば、総理大臣よりも、大統領よりも、国王よりも、エンペラー(天皇、皇帝)が最も“格式”が高いとされています。

 

エンペラーはその国の文化や宗教などを含めた、「文明の代表(その国そのもの)」という位置づけになるためです。

 

この前(2019/10/22)の即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)では、世界196ヵ国中、191ヵ国、世界の94%の国が参列してくださいましたね。

 

 

ここでちょっと天皇の歴史のお話で、自分が好きなエピソードがあるので、ご紹介したいと思います。

 

それは「民のかまど」というお話で、西暦500年頃のお話だそうですが、その頃は仁徳(にんとく)天皇が即位されていたと言われています。

 

そこで仁徳天皇が高台に登って、民の暮らしを眺めると、民の家々から煙が上がっていないのを見て、「これは民は食べる物がなく、炊飯することが出来ないから煙すら上がらないのではないか。」とおっしゃり、そこから3年間税を取ることをやめ、着る物も新しくせず、宮殿も改修せず、質素な暮らしを行ったそうです。

 

そして、やがて民が豊かになった時には、今度は民たちが率先して、宮殿の修理などの恩返しをしたというお話です。

 

自分はこれこそが、日本という国のあるべき姿だと思います。

 

まさに、好循環で作られた世界です。

 

まあ、作り話の可能性もありますが、こういった世の中であれば素敵だなと思っています。

 

 

と、まあ少し脱線しましたが、これだけ伝統があり、貴重な天皇という存在を自分達の代で壊してしまうのはもったいないと思っています。

 

世界最古の王朝があるというのは、誇らしいではないですか。

 

でも日本が嫌いな人たちはこの天皇の仕組みを壊したくて仕方が無いようです。

 

 

という訳で、本題の女性天皇女系天皇の説明にもどります。

 

まず、「女性天皇」についてですが、これはそのまま女性が天皇になることです。

 

別にこれは良いと思います。

 

過去にも女性が天皇になったことが何回かあります。

 

有名どころでは推古(すいこ)天皇とかでしょうか。

 

なので、女性が天皇になるのは問題ないのですが、その女性天皇が一般の男性と結婚をして、その子供が天皇になると、その天皇女系天皇となります。

 

つまりいままで最短でも1500年以上続いていた男系の天皇の伝統が崩れる訳です。

 

その女系天皇のお父さんをたどっていくと、継体天皇神武天皇に行きつかなくなり、例えば今までの天皇を日本王朝と考えた場合、その女性天皇が、佐藤さんという人と結婚したら、佐藤王朝になってしまうということです。

  

もう一つ例えると、サザエさん家系図で考えると分かりやすいと言われています。

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例えば、現天皇が波平だとしたら、波平は「男系の男性天皇」という訳です。

 

その娘のサザエが天皇になるとサザエは「男系の女性天皇」ということです。

 

サザエのお父さんが天皇ですからね。

 

サザエがフグ田家のマスオと結婚して、タラオが生まれました。

 

このタラオは男性ですが、天皇がお母さんなので、女系になります。

 

だからタラオは「女系の男性天皇」となり、この瞬間に、今まで「磯野王朝」だったのが、「フグ田王朝」に変わってしまうということです。

 

 

いかがでしょうか?

 

女性天皇」と「女系天皇」の違いがお分かりになったでしょうか?

 

すでに知っているという方は良いのですが、知らなかった方は「女性天皇女系天皇」を同じ物として騙そうとしてくる日本が嫌いな人たちにご注意ください。

 

 

ちなみに、これを理解した上で女系天皇も良いのではないか?と思うのは、信条の自由なので問題ありません。

 

コミュニケーション

自分はコミュニケーションを取るのが苦手な方だと自覚しています。

 

なかなか思っていることが表現出来ない、伝わらないことが多いです。

 

そこでコミュニケーションを円滑にするにはどうすれば良いか考えてみたことがあるので、ご紹介しようと思います。

 

やっぱりここでも世界の見方の図を使いますが、一人ひとりが別々の世界(意識)を持っているので、お互いに分かり合うには、下記図の青い部分を使って会話なり、文章なりでコミュニケーションを取らなければ、なかなか伝わらないのではないかと考えています。

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なので、

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このような場所の話をいくらしても、相手にとっては「?」となってしまうのではないでしょうか?

 

そして、これが分かっていても、相手がどのくらいの世界を持っているのか?を想像することが難しいと思います。

 

なので、相手の情報が何もない時は、常識的な話(天気とか)から入って徐々に相手の世界を把握していくと、相手との重なり部分で話すことでコミュニケーションが上手く行くのではないでしょうか?

 

まあ、それでも昨日お話しましたが「言葉」の認識の仕方も人によって違うので、どれだけ通じ合っているかは分かりませんけどね。