香港デモ1
今、世界的に重要な話題である香港(ほんこん)デモに関して、メディアは大きく取り上げていない気がするし、問題の根幹をずらして、問題を小さく見せようとしていると感じたので、今回のテーマは<香港デモ>についてです。
この話題は確かに香港・中国・イギリスの歴史などもからんできて、分かりにくいとも思います。
なので、これから書くことは自分が見たり、調べたりしたことのなので、本当は違う可能性もあります。
それでも日本の未来に大きく関係があるので、少しでも本当の姿が見えるように自分の認識をお伝えしてみようと思います。
では、まずは香港の場所からですかね。
ここですね。
この香港デモを理解するには香港の歴史を知ることが重要なのだと思います。
なのでまずは香港の歴史を調べたので重要な部分をご紹介します。
香港付近の地図はこんな感じ。
まずは、1841年に中国(当時は清)とイギリスでアヘン戦争が起こり、イギリスが勝利して、香港島をイギリスの領地としました。
その約20年後にまた中国とイギリスでアロー戦争が起こり、今後は九龍(きゅうりゅう、または、クーロン)半島の南部をイギリスが領地とします。
そして、中国vsフランスの清仏戦争、中国vs日本の日清戦争が起こり、清が弱ったところで1898年にイギリスが九龍半島の新界(しんかい)というところもよこせ!と強硬に出てきます。
弱っている中国(清)は「新界を99年お貸ししますので、なんとかこれで勘弁してください。」ということで、イギリスは新界を99年間領地にすることになりました。
さてそこから時は流れて、1941年に第2次世界大戦で日本が香港からイギリス軍を追い出し、香港を解放します。
しかし、1945年に日本が第2次世界大戦に負けたことにより、香港がイギリスに戻されます。
そして、イギリスが新界を借りた1898年の99年後である、1997年に新界を中国に返す時が来ました。
この頃になると、世界的に植民地とかを保有するのは人権的にも良くないという風潮が出てきて、イギリスも九龍と香港島を持っていてもあまりメリットがないということで、新界と一緒に九龍と香港島を中国に返すことにしました。
なので現在、香港というと、上の地図でいう赤い線の新界、九龍、香港島とその周辺の島々をさすことになるようです。
さて、ここで今まで香港に住んでいた人たちは、イギリスに占領されていたおかげで、経済は発展し、民主主義で資本主義の生活をしていた訳です。
だから、中国の独裁主義の共産主義に戻されるのを嫌がりました。
そうすると香港に進出してきた企業や、中国になるのが嫌な香港人たちは外国に逃げだし始めました。
そこで中国は「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。香港は今まで通り50年間は、民主主義で資本主義のままでいいですから、逃げないで下さいよ」と香港人をなだめる訳です。
そうすると香港人は「まあ、今までのままでいいというなら、もう少し残っても良いかな?」という訳で、名目上は中国となりましたが、実際の社会のありようは元のままという、「一国二制度」という状態になりました。
なので、香港は1997年の50年後、2047年までは民主主義で資本主義の社会となるはずでした。
しかし、「中華秩序」の実現を目指している中国は、2047年の香港統一まで待てなくなって来ていました。
そして、徐々に香港を侵略し出したので、「約束が違うじゃないか!!」と香港人は怒ってデモを行っているという訳です。
つまり、香港のデモは民主主義・資本主義vs独裁主義・共産主義の戦いなのです。
というのが、大まかな香港デモまでの流れになります。
ここで、民主主義・資本主義・独裁主義・共産主義とは何?と思う方もいるかも知れないので、次回はその辺をご紹介しようかと思います。