一人ひとりの世界
以前の<世界の見方>の雑記で「世界は一人ひとりの意識で出来ている」というお話をしたかと思いますが、ではこの一つの世界はどうやって出来ているか考えてみましょう。
【イメージ】
この1つの円が自分やみなさんの世界になります。
では、この世界がどうやって出来るかというと、大きく3つに分けられるかな?と思います。
- 生物的な個体差(DNAと言っても良いかも)
- 経験や環境
- 取得した情報
の3つが大きく、一人ひとりの世界を作るのに影響してくるのではないかと思います。
1つ目の生物的な個体差というのは、もう一人ひとり細胞単位むしろ、DNA単位で違う訳です。
女性、男性、年齢、目がいい、目が悪い、アレルギーがある、毛深いなどなど。
この違いだけでも、ひとりとして同じ人は居ないので、世界を作るのに大きく影響すると思います。
2つ目の経験や環境というのは、その人が育った環境や家庭などの要因と、生きてく中で色々と経験をしてくると思います。
こういうことをしたら成功した、これをやると失敗するなど、経験をして学んでいくことも多いでしょう。
そうするとその経験をもとに、その人なりの世界が作成されていくでしょう。
そして3つ目の取得した情報。
私たちはこの取得した情報によって、この世の中の状態を把握して行くと思います。
それによって、自分の行動を決めたりしています。
そして、取得した情報を吸収することで自分の経験に近いものとするのではないでしょうか。
なのでこれも世界を作成するのに、重要な影響を与えていると思います。
自分が思いついたのが、この3つだったのですが、他にもありそうならご意見ください。
そして、これらを意識が認識することで、世界は作成されていくのだと思います。
話がそれますが、「意識」って不思議ですよね。
「意識」というのはどこから来たのでしょうか?
一生懸命記憶をたどっても、思い出せません。
「意識」についてもいつかテーマにしたいとは思います。
話を戻すと「取得した情報」が吸収されて経験と同じようになって行くこともあるのではないでしょうか?
確かに、自分が経験したことでなくても、映画や漫画や小説などを読んで、あたかも自分が経験しているかのように感じることがあります。
そうすると「取得した情報」というのは、2にも3にも影響してきます。
1・2・3をそれぞれ33%とした場合、「取得した情報」が一人ひとりの世界を構成する要素の約33%~66%を占めるほど重要になってくる訳です。
つまり「取得させる情報」をコントロール出来れば、一人ひとりの世界をある程度コントロールすることが可能になると言えないでしょうか。
そして、「取得させる情報」をコントロールできるところと言えばどこでしょうか?
そうTVなどのメディアです。
メディアは、どの情報をみなさんに提供し、どの情報を知らせないか、というコントロールが可能であるということになります。
なので、自分の世界を構成する3~7割を占める情報をコントロールされている可能性がある情報提供媒体を、盲信するのは危険なことと言えると思います。
みなさんは大丈夫でしょうか?
自分は親と話していると、会話がなりたたなくて頭が痛くなってくることが多いです。
みのさんがココアが体に良いと言っているから、ココアを大量に買ってきたり、偉いジャーナリストがこう言っていたから、これが正しいんだとか。
自分が、こういう可能性もあるんじゃない?と言ってみても、TVが言っているのだから正しいんだ。と。
ネットでは、その情報はねつ造という情報もあるよ?と言っても、ネットは嘘ばかりだとTVが言っているから信用しない!と、聞く耳を持ちません。
確かにネットには嘘の情報も沢山あります。
でも色々な人の情報(意識)が混在しているのです。
正しい情報もあるでしょうし、嘘の情報もあるでしょう。
嘘しかない訳ではではありません。
では、TVはどうかというと、情報を持ってくる人、情報を選別する人、情報を編集する人の意識によって出来ていると言えると思います。
どちらの方がより広い情報なのか。(TVの情報がすべて嘘という訳ではありません)
と訴えても届きません。
あぁ、世界の姿が見えてないんだなーと。今では「そうだね。」と諦めの気持ちで付き合うようになりました。
このように、世界の見方が自分の世界しかないと思い込んでしまうと、他の世界が見えなくなってしまうのだと思います。
あと、人は不確定なままでいることに、不安を感じると思います。
だから、世界はこうだ!正しいことはこうだ!と決めつけないと不安で仕方がないのかも知れません。
誰かに、これが正解なんだよ!と言ってもらわないと、落ち着かないのだと思います。
でも「世界は分からないのが基本」なのです。
分かっているのは自分の世界だけ、自分が見たり、経験したりしたものだけなのです。
そして、その自分が見たり、経験したりしたもの「も」正しいのです。
なので、もっと「自分が世界をどう見るか?」ということを大切にするのが良いのではないでしょうか?